刀 和泉守兼重
(いずみのかみかねしげ)
(金象嵌)二ッ胴切落 山野加右門尉永久(花押)
Katana:Izuminokami Kaneshige
新刀・武蔵 江戸前期 良業物
第二十一回重要刀剣指定品(昭和四十八年)(一九七三)
刃長:75.4(二尺四寸九分弱) 反り:1.3 元幅:3.44
先幅:2.18 元重ね:0.70 先重ね:0.52 穴1
鎬造り、鎬尋常庵棟高め、中切っ先。 鍛え、小板目に板目を交え、所々流れて肌立ち、地沸厚く付き、地景入り、地鉄良好。 刃文、湾れ乱れ調で互の目、小互の目を交え、刃縁小沸良く付いて匂い深く明るく冴え、刃中互の目足、小足、葉良く入る。 帽子、湾れ調で、先僅かに掃き掛け小丸に返る。 茎生ぶ、先刃上がり栗尻、鑢化粧大筋違い。 銀に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
【コメント】
和泉守兼重の重要刀剣、剣豪宮本武蔵が認めた斬れ味、山野加右衛門永久による二ッ胴截断の金象嵌截断銘入り、同工晩年に於ける集大成の会心作です。
新刀期の江戸鍛冶で、初代越前康継、野田繁慶に次いで現れたのが和泉守兼重であり、元は越前の矢の根(やじり)鍛冶であったと伝えられています。後に藤堂和泉守高虎の抱え工となり、初め和泉大掾、後に和泉守を受領しました。二代が上総介兼重です。
截断銘入りの作もまま見受けるように、業物鍛冶としても名高く、その鋭い斬れ味は多くの武人を魅了、かの有名な剣豪宮本武蔵の愛刀であったとも伝わっています。
生年没年は不明、年紀作もほとんど見られませんが、年紀の上限は寛永二年(一六二五)で、万治(一六五八~六一)初年頃まで鍛刀したと伝えています。
作風は、湾れ調に互の目が連れて、刃中足が繁く入るもの、直刃調に浅く湾れを交え、刃縁が明るく冴えたものの二つに大別されます。
銘は、『武州江戸住兼重』、『和泉大掾藤原兼重』、『和泉守兼重』、『和泉守藤原兼重』などと切り、字体は寛永中頃から独特の隷書風となり、晩年の正保頃には、更に細鏨で小振りになります。
本作は、昭和四十八年(一九七三)、第二十一回の重要刀剣に指定された同工傑出の一振りです。
寸法二尺四寸九分弱、反りやや浅め、力感あふれる勇壮な姿は、地刃すこぶる健全で、手持ちの重量感が凄いです。
図譜にも記載があるように、刀姿、前述した銘振り等からして、同工晩年作に当たります。
刃縁の明るく冴えた焼き深い湾れ調の刃に、刃中互の目足が繁く入る出来は、同工の手癖とも言える特徴的な刃形、図譜には、『地刃が冴えて一見乕徹を思わせる作風である。』とありますが、兼重の方が先輩格であることからして、乕徹がこの作風に倣ったものと考えられます。
茎には、山野加右衛門永久による『二ッ胴切落』の金象嵌截断銘があり、その凄まじい斬れ味も実証済みです。
永久は、江戸期に活躍した試し斬り名人、永久の試し銘は、寛永頃を始めとして、寛文六年まで残されており、翌年に七十歳で没しています。 寸法十分、典型的な作風、金象嵌截断銘、同工の代表作と成り得る素晴らしい新刀重要、研ぎも良いです。 剣豪宮本武蔵が惚れ込んだその斬れ味と技量、和泉守兼重の集大成と言える会心作です。