短刀 来国光
(らいくにみつ)
観応二年六月(一三五一)
Tanto:Rai Kunimitsu
古刀・山城 南北朝前期 最上作 拵え付き
第十六回重要刀剣指定品
探山先生鞘書き有り
『日本刀 五ヶ伝の旅 山城伝編』所載品
刃長:26.5(八寸七分強) 反り:僅か 元幅:2.65 元重ね:0.54 穴2
平造り、庵棟尋常。 表裏共に棒樋をハバキ下で掻き流す。 鍛え、小板目良く詰み、所々流れ心に肌立ち、地沸厚く付き、地景入り、沸映り立ち、地鉄良好。 刃文、直湾れ調で、刃縁小沸付いて明るく、ほつれ、二重刃、打ちのけ掛かり、刃中繊細な金筋、砂流し掛かる。 帽子、直調で沸付き、先小丸風に返る。 茎ほぼ生ぶ、先浅い栗尻、鑢切り。 銀に金着せ二重ハバキ(被せ部分は金無垢)。 時代最上研磨。 白鞘入り。 上合口拵え(現代作 全長41 鞘 黒の呂鞘、返り角あり 小柄、金無垢魚子地、獅子図 後藤顕乗 下げ緒薄紫 柄 出し鮫 目貫、金無垢地、獅子図)付き。
【コメント】
来国光の重要刀剣短刀、典型的な地刃の出来を示した会心作、同工最終年紀入り、コレクション価値の高い逸品です。
来国光は、国俊の子と伝わり、来一門の正系を継いだ名工、現存する年紀作は僅少ですが、鎌倉最末期の嘉暦元年(一三二六)を上限とし、同二年(一三二七)、元徳二年(一三三〇)、同三年(一三三一)、その後暫く途絶え、南北朝期に入って貞和三年(一三四七)、同四年(一三四八)があり、下限は観応二年(一三五一)になります。
国宝三口、重要文化財二十四口、重要美術品二十三口を数え、その数は父国俊と並んで同派中突出しています。また国宝短刀『有楽来国光』を始め、重要文化財『塩川来国光』、『池田来国光』、『新身来国光』など短刀にも名物が多く、名実共に同派の最高峰鍛冶と言えます。
その活躍時期が、鎌倉末期から南北朝前期であるため、現存品の太刀、短刀を見ても、寸法、造り込み、身幅など広狭長短様々、作風に付いても、伝統の来直刃のみならず、直刃調に小足入るもの、直刃調に小互の目、小丁子、小乱れを盛んに交えるもの、逆足入る京丁子交じりのもの、互の目が大模様に乱れたもの等々多彩を極めており、大変器用な刀匠であったことが知られています。
銘振りは初期から晩年まで五通り程あり、それによって作刀時期がほぼ判別出来ます。
本作は、貴重な年紀入り短刀、昭和四十二年(一九六七)、第十六回の重要刀剣指定品です。
観応二年六月(一三五一)は、前述したように、同工最終年紀に当たり、探山先生著、『日本刀 五ヶ伝の旅 山城伝編』にも所載されています。
寸法八寸七分強、南北朝期の短刀らしく、身幅しっかりとした勇壮なスタイルを示しています。
小板目良く詰んだ精良な地鉄は、所々流れ心に肌立ち、沸映り立ち、直湾れ調の刃文は、刃縁小沸付いて明るく、ほつれ、二重刃、打ちのけ掛かり、刃中繊細な金筋、砂流しが掛かっています。帽子も先小丸風に返るなど、来派の王道と言える作域です。
また図譜にも、『来国光の良い研究資料である。』とあるように、この鮮明な銘振りと年紀は大変貴重です。
付属の外装は、小柄、目貫等、後藤の金無垢獅子図を使用した上質な逸品で、ハバキも金着せ二重(被せ部分は金無垢)がピシッと付いています。
来国光が、同派筆頭鍛冶としての矜持を示した格調高き名品、同工最晩年に於ける集大成の一振りです。