刀 (太刀銘)肥前国忠吉(初代)
(慶長二十年頃の作)
(ひぜんのくにただよし)
Katana:Hizennokuni Tadayoshi
新刀・肥前 江戸初期 最上作 最上大業物 拵え付き
第二十二回重要刀剣指定品
探山先生鞘書き有り
刃長:71.0(二尺三寸四分強) 反り:2.0 元幅:3.00
先幅:2.12 元重ね:0.72 先重ね:0.54 穴1
鎬造り、鎬高く庵棟低い、中切っ先。 鍛え、小板目肌良く詰み、地沸厚く付き、細かな地景入り、地鉄精良。 刃文、直湾れ調で、刃縁良く沸付いて匂い深く明るく冴え、所々二重刃、喰違刃掛かり、刃中小足、葉繁く入り、僅かに金筋、砂流し掛かる。 帽子、直調で沸付き、二重刃掛かり、先掃き掛け小丸風に返る。 茎生ぶ、先栗尻、鑢切り。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
上打ち刀拵え(近代作 全長100 柄長24.3 鞘 茶の津軽塗鞘 こじり、栗型、鯉口は黒 下げ緒黒 柄 親鮫に黒柄巻き 縁頭 銘今井永武花押 目貫、赤銅容彫色絵、布袋図 鍔 赤銅魚子地据紋金象嵌 万年青に雁の図)付き。
【コメント】
最上作にして最上大業物、初代肥前忠吉の重要刀剣、同工最良期である五字忠吉時代の傑作、正に肥前刀の最高峰です。
初代忠吉は、橋本新左衛門と称し、元亀三年生まれ、若年の頃から佐賀藩主鍋島勝茂にその鍛刀技術を認められ、藩工に任じられました。慶長元年、二十五歳の時に、藩命により、一門の専属彫り師宗長と共に京の埋忠明寿門下に入り、慶長三年に帰国すると、佐賀城下へ移り、藩の庇護の元、本格的な作刀が始まります。
銘振りは、慶長十九年頃まで『肥前国忠吉』、以降元和末年頃まで『肥前国住人忠吉作』、寛永元年頃からは『武蔵大掾藤原忠廣』と切り、源姓から藤原姓へ改めています。寛永九年八月、六十一歳没。
本作は、昭和四十九年(一九七四)、第二十二回の重要刀剣指定品、いわゆる五字忠吉銘の優品、年紀はありませんが、図譜、探山先生鞘書きにもあるように、その銘振りから、慶長二十年、同工四十四歳頃に当たります。正に壮年の最良期と言えるでしょう。
寸法二尺三寸四分強、均整の取れた美しい刀姿を示しており、地刃すこぶる健全です。
小板目肌良く詰んだ精良な小糠肌、直湾れ調の刃文は、刃縁明るく冴え、所々二重刃、喰違刃掛かり、刃中小足、葉繁く入るなど、これぞ正に肥前直刃の真骨頂と言える出来映えです。
付属の外装も、津軽塗鞘に赤銅金具等を使用して雰囲気良く誂えた 上々作です。
探山先生鞘書きにも、『地刃の冴え見事、同作中、出来栄え、保存共に出色哉。珍々重々。』とあるように、肥前刀をお求めならば、まず五字忠吉から、加えて新刀重要ですから、欠点はありません。
古い昭和二十六年の登録証は、福島県登録、肥前刀の醍醐味を存分にお楽しみ頂ける初代忠吉渾身の一振りです。