太刀 大和国住藤原包久作(手掻)
(やまとのくにじゅうふじわらのかねひささく)
Tachi:Yamatonokuniju Fujiwarano Kanehisa
古刀・大和 室町最初期
第六十一回重要刀剣指定品(平成二十七年)(二〇一五)
探山先生鞘書き有り
刃長:69.7(二尺三寸) 反り:1.9 元幅:2.95
先幅:1.81 元重ね:0.64 先重ね:0.41 穴3
鎬造り、鎬高く庵棟低め、中切っ先。 鍛え、小板目に板目、杢目交じり、総体的に流れて上品に肌立ち、地沸厚く付き、地景良く入り、地鉄良好。 刃文、直刃湾れ調で僅かに小互の目を交え、刃縁良く沸付いて匂い深く明るく冴え、ほつれ、喰違刃掛かり、刃中小足入り、上品な金筋、砂流しが掛かる。 帽子、湾れ調で、先小丸風に掃き掛ける。 茎生ぶ(先を僅かに詰む)、先切り、鑢鷹の羽。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
【コメント】
手掻包久の重要刀剣在銘太刀、室町最初期作、地刃健全で典型的な出来、姿もほぼ生ぶ、大変稀少な現存品です。
手掻一派は、東大寺の西の正門である輾害(てんがい)門の近くに住して鍛刀したことからその名があると云い、東大寺専属の鍛冶集団であったと考えられています。
鎌倉末期正応(一二八八~九二)頃の包永を祖とし、代表工にはその子とされる包清、門下の包俊、包友、包吉、包次、包久、包真、包氏らがいます。以後南北朝から室町期に掛けて活躍、大和五派の中では最も繁栄した一派で、新刀期に入っても文珠鍛冶として分派、南紀重国、陸奥守包保などの名工を輩出しました。
作風は、鎬高く、鎬幅の広い造り込み、鍛えは、板目が刃寄り流れ心で、地沸が厚く付いて強く冴えるものを基本とし、中には小板目が詰んで柾気が全く目立たず、一見来国俊、国光に紛れそうな京物を思わせる作もあります。刃文は、小沸出来の直刃を基本にし、中には細直刃の沸の穏やかな作、荒沸付く烈しい作もあり、刃に沿って湯走り、二重刃、ほつれなどが見られます。
本作は、希少な手掻包久の在銘太刀、平成二十七年(二〇一五)、第六十一回の重要刀剣に指定された優品です。
包久は、同派の代表工で、初代を南北朝中期文和(一三五二~五六)頃とし、以降室町末期まで同銘が数代に及んでおり、新刀期以降は、文珠鍛冶として同銘が継承されています。
本作には年紀はありませんが、図譜、探山先生鞘書きにもあるように、その姿、出来、銘振り等より、室町初期応永頃の包久と鑑せられます。
包久の在銘品は、ほぼ室町末期以降の作しか残っていませんので、かなり貴重です。
寸法二尺三寸、茎は生ぶ(先を僅かに詰む)、腰反りに加えて先反りやや深めに付いた美しい太刀姿、 小板目に板目、杢目交じり、総体的に流れて上品に肌立つ地鉄、直刃湾れ調で僅かに小互の目を交えた焼き刃は、刃縁良く沸付いて匂い深く明るく冴え、ほつれ、喰違刃掛かり、刃中小足入り、上品な金筋、砂流しが掛かっています。
図譜には、『室町初期の手掻派の在銘太刀は、現存少なく貴重であり、一見南北朝期を下らぬ同派の作を思わせる、地刃の冴えと古色を合わせ持った一口である。』とあり、鞘書きにも、『地刃は同派の伝統を示して出来優れ、洗練度といい、深味といい、この期の一類中屈指也。珍重然るべき哉。』とあります。
寸法も定寸ある大和物の在銘太刀で、茎もほぼ生ぶの重要刀剣は中々出ません。大和物をお好きな方に、ご満足頂ける魅力的な手掻包久です。