脇差し 高木貞宗(生ぶ無銘)
(たかぎさだむね)
Wakizashi:Takagi Sadamune(Mumei)
古刀・近江 南北朝中期
第三十二回重要刀剣指定品(昭和六十年)(一九八五)
薫山先生鞘書き有り
刃長:37.7(一尺二寸四分強) 反り:0.5 元幅:2.98 元重ね:0.51 穴2
平造り、三ッ棟低め。 表に素剣に爪を添え、裏は護摩箸をハバキ下で掻き流す。 鍛え、板目に杢目、流れ肌を交えて上品に肌立ち、地沸厚く付き、沸映り立ち、地景良く入り、地鉄良好。 刃文、湾れ調で、大互の目、耳形の刃を交え、刃縁良く沸付いて匂い深く、僅かに飛び焼き、湯走り掛かり、刃中金筋、砂流し掛かる。 帽子、湾れ込んで先僅かに掃き掛け小丸風に返る。 茎生ぶ、先剣形、鑢不明。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
【コメント】
江州高木貞宗の重要刀剣、相州貞宗高弟の典型作、石堂運寿是一が弟子松軒元興へ贈った由緒正しき伝来品です。
高木貞宗は、古来より相州貞宗の子、或いは門人と伝わり、近江国高木村で鍛刀したことから、この呼び名があります。一説によると、相州貞宗が近江の佐々木氏に招かれて、その地で鍛刀した際の門人とも云われています。近江国高木村の所在地には諸説あり、今日では滋賀県野洲市高木説、滋賀県東近江市高木町説が有力で、後世には津田近江守助直などの鍛刀地としても有名です。
相州貞宗に在銘正真作は現存していませんが、高木貞宗には短刀、小脇差しが僅かに残されています。その一つが重要美術品の短刀、かつては豊臣秀吉の所蔵品で、『江州高木住貞宗』と銘があります。
作風は、相州貞宗に似た湾れ調の刃を主体とし、互の目が交じるものもあり、金筋、砂流し掛かる出来を得意とします。無銘極めの作は、ほぼ平身の小脇差しで、刀はほとんど見られません。
活躍期は、同門とされる京信国とほぼ同時期である、延文貞治頃とされています。
本作は、生ぶ無銘ながら、『高木貞宗』の極めが付された優品、昭和六十年(一九八五)、第三十二回の重要刀剣指定品です。
寸法一尺二寸四分強、三ッ棟で先反りの付いた勇壮な平脇差しは、南北朝盛期の典型的なスタイルです。
湾れ調で、大互の目、耳形の刃を交えた刃文は、刃縁良く沸付いて匂い深く、僅かに飛び焼き、湯走り掛かり、刃中金筋、砂流し掛かる出来、地に鍛え肌が多少出ますが、刃は総体的に健やかで染みるような箇所はありません。
表裏腰元には、素剣に爪、護摩箸がありますが、簡素ながら味わいのある良い生ぶ彫りです。
図譜には、『この脇差しは、地刃、形状、茎仕立てより、正しく高木貞宗と鑑せられるもので、表裏の彫り物も上手である。旧鞘には、松軒元興が、運寿是一より贈られた品である旨が認められている。』とあるように、旧鞘によると、元々は是一の愛刀であったものを、弟子元興に進呈した旨が記されています。残念ながら、旧鞘は紛失しています。
松軒元興は、幕末明治期の会津の名工、角大助と言い、三代目元興に当たります。安政六年、四十二歳の頃、江戸へ出て、石堂運寿是一に学び、 同年入道して松軒と号しました。是一との合作も残されています。明治二十四年、七十四歳没。
江州高木住貞宗の典型作、師に勝るとも劣らない多彩な沸の変化、美しさは必見です。その伝来も含めてこれは見過ごせない一振りです。