太刀 助重(福岡一文字)
(すけしげ)
Tachi:Sukeshige
古刀・備前 鎌倉中期
第二十四回重要刀剣指定品
『鑑刀日々抄続二』及び『光山押形』所載品
本阿弥光瞭折紙及び添え状付き
水戸徳川公爵家伝来品
刃長:70.6(二尺三寸三分) 反り:2.0 元幅:2.69 先幅:1.75 元重ね:0.69 先重ね:0.41 穴2
鎬造り、鎬高め庵棟低い、中切っ先。 鍛え、小板目に板目、杢目、流れ肌を交えて良く詰み、地沸厚く付き、地景入り、地斑状の丁子映り判然と立ち、地鉄概ね精良。 刃文、丁子乱れを主体に、互の目、小互の目、小丁子を交え、刃縁匂い勝ちに小沸付き、刃中丁子足、葉繁く入り、一部金筋、砂流し掛かる。 帽子、直調で大丸風となり、先掃き掛け僅かに返る。 茎磨り上げ、先切り、鑢勝手下がり。 銀に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。 【コメント】
福岡一文字助重の重要刀剣、稀少な在銘品、『鑑刀日々抄』及び『光山押形』等所載の由緒正しき伝来品です。
一文字派は、鎌倉初期に興り、以後南北朝期に掛けて福岡、吉岡、片山、岩戸の地に栄えて多数の名工を輩出しました。中でも福岡は、一文字派の中で最も古く、事実上の祖である則宗を始め、代表工には延房、宗吉、助宗、行国、助成、助延、信房などがいます。鎌倉中期になると、同派は最盛期を迎え、華麗で絢爛たる丁子乱れの作風を展開、この期を以て、後世まで最高芸術と評される『一文字丁子』の完成を見ることとなります。この期の代表工には助真、吉房を筆頭に、吉平、吉用、吉元、助宗などがいます。また同派からは後鳥羽院御番鍛冶を七名も輩出されており、当時の一派の実力を窺い知ることが出来ます。
本作は稀少な福岡一文字助重の在銘太刀、昭和四十四年(一九六九)、第十八回の重要刀剣に指定されています。
下が生ぶ穴で二寸程磨り上がっていますが、寸法二尺三寸三分、上品で美しい姿で、図譜によると、時代は『鎌倉中期』としています。また薫山先生鞘書きがあるように、『鑑刀日々抄(続二)』にも所載されており、こちらでは『鎌倉初期』としています。
福岡一文字の助重は、銘鑑等によると、鎌倉初期から末期まで同銘が数人挙がっていますので、鎌倉中期を下らない助重で間違いないと思われます。
地斑状の丁子映りが判然と立つ綺麗な地鉄、丁子乱れを主体に、互の目、小互の目、小丁子を交えた焼き刃は、刃縁匂い勝ちに小沸付き、刃中丁子足、葉繁く入り、一部金筋、砂流し掛かるなど、同派最盛期の典型作と言えるでしょう。
本作は『今村押形』で有名な今村長賀(ながよし)遺愛の一振りと伝わっています。
長賀は幕末の土佐生まれ、戊辰戦争にも従軍し、維新後は陸軍大尉相当の役職に就いた軍人で、後に本阿弥平十郎に刀剣の鑑定を学び、刀剣鑑定家としても活躍、晩年、宮内庁御刀剣係を拝命しました。収集した刀剣は三千振りと云われており、明治四十三年(一九一〇)、東京麹町で死去、享年七十四歳。昭和二年、長賀の採った刀剣押形をまとめ、大阪刀剣会が発行したのが『今村押形』です。加えて前述のように『光山押形』にも所載されています。
更に本阿弥光瞭の折紙及び添え状まで付属しており、それによると、『代金子五百枚』の代付け及び水戸徳川公爵家の伝来品であることも記されています。
光瞭は光遜の弟子で、昭和初期の鑑定家、著書に『日本刀鑑定法講義』があります。
とにかく所持者、伝来、所載品など、様々な方面で有名な一振り、且つ最盛期の一文字丁子を存分に堪能出来る福岡一文字助重です。