太刀 (額銘)備州長船住元重
(びしゅうおさふねじゅうもとしげ)
Tachi:Bisyu Osafuneju Motoshige
古刀・備前 南北朝初期
最上作 最上大業物 拵え付き
第十八回特別重要刀剣指定品
仙台伊達家伝来品
延宝八年本阿弥光常折紙付き 探山先生鞘書き有り
刃長:68.0(二尺二寸四分) 反り:1.4 元幅:2.64
先幅:1.84 元重ね:0.62 先重ね:0.45 穴2
鎬造り、鎬高く庵棟低め、中切っ先やや延び心。 鍛え、板目に杢目、流れ肌を交えて肌立ち、乱れ映り、地斑映り鮮明に立ち、地沸厚く付き、地鉄良好。 刃文、小湾れを基調に小互の目、小丁子を交え、刃縁小沸付いて匂い深く、刃中葉入り、金筋、砂流し掛かる。 帽子、湾れ調で、先尖り心に掃き掛け返る。 茎大磨り上げ、先極浅い栗尻、鑢筋違い。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
天正拵え(近代作 全長97 鞘 黒の呂塗り 返り角あり 栗型金無垢しとどめ 小柄、赤銅毛彫、波に樽の図 笄、赤銅魚子地うっとり色絵、尾長鳥図 下げ緒、茶に青の斑文 柄 親鮫に黒塗り、緑裏革柄巻き 縁、四分一地一筋彫 頭角 鍔 山銅地丸形毛彫、松葉図 素銅に金着せ切羽)付き。
【コメント】
長船元重(額銘)の特別重要刀剣、徳川家光より伊達政宗に下賜され、『徳川実紀』及び『刀槍秘録』にもその旨が記載された由緒正しき伝来品、第十二代本阿弥光常古折紙付き、これは日本の宝です。
元重は、長船鍛冶でありながら、兼光や長義とは系統を異にする刀工で、畠田守家の孫、守重(長船長光の娘婿)の子、重真の兄と伝わっており、最上大業物且つ『貞宗三哲』にもその名を連ねる名工です。
作刀期間は、鎌倉末期の正和(一三一二~一七)頃より、南北朝中期の貞治(一三六二~六八年)頃まで及んでいます。故にその造り込みは時代を反映し、切っ先身幅尋常な姿から、切っ先延びた大柄な姿まで見られます。
作風は、板目に杢目交じりの地鉄に流れる様な柾肌が交じり、総体的に肌立ち気味で地景入り、地斑状の肌合いや乱れ映りの出る場合もあります。
焼き刃は、直刃調で、刃中角張る互の目が目立ち、互の目、丁子、片落ち風の刃を交えますが、総体的に逆掛かるのを基本とします。また刃縁から刃中に向かって足、葉が鋭角に入る『陰の尖り刃』は、同工特有の働きです。直調で刃中逆掛かった焼き刃、突き上げ風で尖り心となる帽子などは、同時期の青江鍛冶に近いものがありますが、肌質の違い、刃幅が総体的に広いなどの相違点が挙げられます。
本作は平成十五年十月(二〇〇三)、第四十九回の重要刀剣指定品で、翌十六年四月には第十八回の特別重要刀剣に指定された名品中の名品です。
日刀保の審査基準によると、『特別重要刀剣は、重要刀剣の中で、更に一段と出来が傑出し、保存状態が優れ、国認定の重要美術品の上位に相当すると判断されるもの、若しくは国指定の重要文化財に相当する価値があると考えられるもの。』としていることから、本作は無類の健全さと出来の良さを誇る重要文化財に相当する極上品であることが分かります。
また前所有者の福本富雄氏は、日刀保常務理事及び同四国讃岐支部の支部長を務めた有名な刀剣コレクター、鑑定家です。
寸法二尺二寸四分、反りやや浅め、切っ先やや延び心で元先身幅の差が余り目立たないスタイルは、南北朝初期頃の作と鑑せられます。
板目に杢目、流れ肌を交えた地鉄は、乱れ映り、地斑映りが鮮明に立っています。小湾れを基調とした焼き刃は、小丁子、小互の目を交えて匂い深く焼いており、柔らかな刃縁は、穏やかなほつれを交えて明るく目映い光を放ち、刃中金筋、砂流しが掛かっています。研ぎ減りなど微塵も感じさせず、手にした際に、しっかりとした重みを感じることからも、地刃の健全さを窺い知ることが出来ます。
この潤いのある肌質、抜群の鍛え、焼き刃の柔らかさと明るさ、研ぎも素晴らしく、同工の特色と美点が存分に示されています。
図譜及び鞘書きに、『湾れを基調とした作風は、同工には稀有であり、長船兼光風を思わせるが、鍛えに流れ肌が目立ち、地斑を交えるなどの点に元重の特色が見られ、同工の作域を知る上で貴重な資料である。』とあるように、同工の新境地を開く意欲的な作であることがわかります。
何よりも素晴らしいのは伝来で、図譜にも明記されているように、『徳川実紀』によると、寛永元年(一六二四)、徳川家光公が、伊達政宗邸に初めて御成りの際、政宗に本太刀を下賜した旨の記載があり、仙台伊達家の蔵刀品目録である『刀槍秘録』にも、同様の記載があります。つまりは徳川家光から伊達政宗に渡り、永らく仙臺伊達家に伝来した名品中の名品、更に延宝八年(一六八〇)、第十二代本阿弥光常の古折紙が付属しており、『代金子五枚』の代付けが成されています。
光常は、本阿弥本家十二代当主で、十一代光温の孫に当たります。折紙は寛文七年(一六六七)~元禄九年(一六九六)まで残されており、宝永七年(一七一〇)、六十八歳没。
本阿弥本家の折紙でも、第十三代光忠以前のものを『古折紙』と呼んで珍重されるのは、鑑定が厳格で、最も信用が置けるためです。何にしても、今後これ程由緒正しき伝来品が出てくることはないでしょう。
これだけの名品の上、徳川家光、伊達政宗、本阿弥光常の名前が出て来るわけですから、その付加価値は計り知れません。
これが重要文化財に比肩すると認められた元重の代表作、地刃の健全さ、美しさ、伝来、身震いする程の感動を味わって頂ける日本の宝です。