鎬造り、鎬高め庵棟低め、中切っ先。 鍛え、小板目肌所々流れ心に良く詰み、地色明るく、地沸を微塵に厚く付け、地景が繁く入り、地鉄精良。 刃文、腰開きの互の目丁子乱れを主体とし、刃縁匂い勝ちに小沸付いて明るく締まり、刃中葉、足入る。鎬地にも烈しい焼き入り、細かな飛び焼きと相俟って皆焼状を呈する。 帽子、乱れ込んで焼き深く、先丸く返る。 茎生ぶ、先栗尻、鑢勝手下がり。 銅に金着せ二重ハバキ。 最上研磨済み。 白鞘入り。
上肥後拵え(幕末期 全長97センチ 鞘 茶に金茶の石目塗り鞘 返り角上腰あたりは螺鈿散らし こじり、鉄地据紋金象嵌雲龍図 返り角、鉄地据紋銀象嵌龍図 栗型、鉄地据紋金象嵌、雨龍図 鯉口、鉄地金布目象嵌雷紋に唐草図 下げ緒金茶 柄 黒鮫に赤茶柄巻き 目貫、赤銅容彫、蟹の図 縁頭、鉄地枯れ木象嵌 鍔 大透巴図 無銘勘四郎 鉄地堅丸形透)付き。
【コメント】
長船与三左衛門尉祐定の重要刀剣、かの有名な山中鹿介(しかのすけ)の愛刀を彷彿とさせる皆焼刃の最高傑作、無鑑査藤代興里の最上研磨が施された名刀です。
室町幕府将軍家とその補佐役管領家の後継者争いが、京の都を焼け野原にした『応仁の乱(一四六七~一四七八)』、その戦乱の火種は全国的に広まりました。備前の地も例外ではなく、赤松、宇喜多、浦上、松田、三村の諸氏が覇権を争い、対立抗争を繰り返し、刀剣需要は激増しました。その大量需要に応えたのが長船一派を中心とした備前鍛冶であり、皆大いに繁栄しました。中にはその実力を認められ、名のある戦国武将の抱え工として活躍する者も少なくありませんでした。これらは個々の向上心、出世欲を刺激し、また著しい技術の向上にも繋がりました。結果、今日『備前刀剣王国』とまで呼ばれる一大生産地となったのです。
数多輩出された末備前鍛冶の中では、祐定を名乗る刀工が特に多く、古刀期だけで八十余名を数えます。その中でも名実共に筆頭に挙げられるのが、本工の与三左衛門尉祐定です。
同工は、彦兵衛尉祐定の子で、応仁元年(一四六七)生まれ、年紀作に見る活躍期は、文亀(一五〇一~〇四)から天文十年(一五四一)頃まで、翌十一年、七十六歳で没と伝わります。
作風は、代表的な腰開きの複式互の目乱れを始めとして、互の目丁子、直刃、湾れを基調としたもの、上半と下半でどちらかが乱れ、どちらかが直刃となったもの、腰元のみ複式互の目を焼いたもの、皆焼、互の目の先が割れて蟹の爪状になったいわゆる『蟹の爪刃』もあります。
作風、時代を問わず、比較的ムラなく出来優れるのが与三左衛門尉であり、それが『末備前鍛冶の最高峰』と呼ばれる所以ですが、その中でも天文年紀を有する作には、特に傑作が多いことから、『天文祐定』とも呼称されます。
本作は昭和四十一年、第十四回の重要刀剣指定品、天文五年は同工七十歳の頃、同工晩年円熟期に当たり、前述の『天文祐定』とも呼ばれる最良期の傑作です。
この頃の打刀は、二尺一寸~二寸程のやや寸の詰まったスタイルが主流ですが、本作は寸法二尺二寸七分とやや長め、探山先生鞘書きにも『常より反りが際立って深く、且つ寸法もやや長い点からして、陣太刀用に製作されたものではないだろうか。』とあるように特注品と察せられる一振り、地刃すこぶる健全、身幅もガシッとして、ズシッとした重量感があります。
小板目肌が所々流れ心に良く詰んだ精良な備前地鉄は、地色明るく、地沸を微塵に厚く付け、地景が繁く入り、腰開きの互の目丁子乱れを主体とした刃文は、刃縁匂い勝ちに小沸付き、明るく締まって冴え渡り、刃中葉、足入り、鎬地も烈しく焼き、多数の飛び焼きと相俟って何とも華やかな皆焼状を呈しています。
探山先生鞘書き、図譜にも記載があるように、本作は重要美術品に指定されている、山中鹿助(しかのすけ)の所持刀の出来に近似しています。
山中鹿助(一五四五~七八)こと山中幸盛は、室町末期に活躍した山陰地方の武将、尼子(あまご)氏の家臣で、一般的には本名よりも鹿介の通称で呼ばれます。また優れた武勇の持ち主で、『尼子三傑』、『尼子十勇士』の一人、『山陰の麒麟児』の異名もあります。
主家尼子氏滅亡後も、その再興のために尽力、特に『願わくば、我に七難八苦を与え給え。』と三日月に祈った逸話は有名です。
本歌には、その山中鹿助が所持していた旨の切り付け銘があることから、後世その価値を一段と高めた名品ですが、本歌が二尺一寸二分であるのに対し、本作は二尺二寸七分もある点は大変好ましいことです。
研ぎは無鑑査藤代興里によるもので、平成十七年、『第五十八回刀剣研磨発表会』にて無鑑査出品された一振りです。こういった皆焼風の刃は、研ぎによって嫌みな感じ、下品な感じになってしまう場合も少なくありませんが、流石は名人、地刃の冴え、明るさ、潤い、全てに於いて素晴らしい仕上がり、こんな上品な華やかさを備えた皆焼刃は見たことがありません。
付属の外装は、幕末期の肥後拵えで、螺鈿散らしと金茶の昼夜変わり塗り鞘、金具類も鐔が西垣勘四郎(無銘)の三つ巴透かし図等々、雰囲気抜群の上質な一作です。
本作は重要刀剣指定品の中でも、かなり上位に位置するものと鑑せられますので、是非とも更なる高みを目指して頂きたいと思います。決して可能性は0%ではありません。後は運を天に任せて、鹿介のように三日月に祈るのみです。
正直、このレベルの与三左衛門尉はまずお目に掛かりません。
『末備前一』と評されるその技量を存分に発揮した秀逸なる一振り、これが『末備前の最高峰』、与三左衛門尉祐定の最高傑作です。