刀 無銘(伝西蓮)
(でんさいれん)
Katana:Mumei(Den Sairen)
古刀・筑前 鎌倉末期
第十六回重要刀剣指定品
探山先生鞘書き有り
刃長:70.0(二尺三寸一分) 反り:1.2 元幅:3.20 先幅:2.28 元重ね:0.72 先重ね:0.52 穴5
鎬造り、鎬高く庵棟低い、中切っ先伸び心。 表裏棒樋を茎途中で掻き流す。 鍛え、板目に大板目、波状の流れ肌交じって上品に肌立ち、地色にやや黒みがあり、強く白ける映り立ち、地沸を厚く付け、細かな地景繁く入り、地鉄良好。 刃文、細直刃調で、刃縁の沸匂い深く明るく締まり気味となり、細かなほつれ、打ちのけふんだんに交じり、刃中繊細な金筋、砂流し掛かる。 帽子、直調で大丸風となり、先僅かに掃き掛け返る。 茎大磨り上げ、先切り、鑢切り。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
【コメント】
西蓮の重要刀剣、鎌倉末期とは思い難い地刃の健やかさと重量感、古作九州物の見所を顕現した同工会心の一振りです。
西蓮は、良西の子、実阿の父、左文字の祖父と伝えられる刀工で、鎌倉末期の筑前鍛冶代表です。
在銘現存作は僅少ですが、本阿弥光山による古刀押形本『光山押形』には、『筑前国博多談議所国吉法師西蓮 文保元年二月(一三一七)』と銘のある太刀が所載されており、これによって国吉と西蓮が同一人物であること、国吉の入道銘が西蓮であること、博多談議所に仕えた刀工であることが分かります。博多談議所とは、鎌倉幕府が九州統轄のため博多に設置した役所で、鎮西談議所とも呼ばれます。
年紀作に見る活躍期は、鎌倉末期の嘉元(一三〇三~〇六年)から文保(一三一七~一九年)頃まで、銘振りとしては、前述の長銘の他、『国吉』、『西蓮』、『談議所国吉』、『談議所西蓮』などが残されています。
作風は、基本良西、実阿らと同様に鍛えが大模様に肌立って流れ、地色に黒みがあり、焼き刃は直刃調でほつれて、刃縁が潤み勝ちとなるなど、いわゆる古作九州物の伝統を良く示したものが多く見られます。
本作は昭和四十二年、第十六回の重要刀剣指定品、寸法二尺三寸一分、切っ先グッと伸び心で反りやや浅めに付き、身幅しっかりとした何とも力感のある勇壮な姿は、鎌倉末期から南北朝初期に見られるスタイルです。
板目に大板目、波状の流れ肌交じって上品に肌立つ地鉄は、地色にやや黒みがあり、強く白ける映り立ち、地沸を厚く付け、細かな地景が繁く入っています。 細直刃調の焼き刃は、刃縁の沸匂い深く明るく締まり気味となり、細かなほつれ、打ちのけふんだんに交じり、刃中繊細な金筋、砂流しが掛かっています。
左文字以前の古典的な九州物の典型でありながら、本作は特に洗練された作域を示しています。
これ位地刃健やかで力強い西蓮は、最近お目に掛かったことがありません。穏やかな刃調の渋い出来ですが、地刃の細やかで多彩な働きは見事であり、また研ぎも良く、地刃が生き生きとして、本作の美点を余すことなく表現出来ています。
これは国吉法師西蓮の代表作と言える名品、強くお薦め致します。