太刀 包真(手掻)
(かねざね)
Tachi:Kanezane
古刀・大和 南北朝中期
第二十七回重要刀剣指定品
探山先生鞘書き有り
刃長:73.8(二尺四寸四分弱) 反り:2.5 元幅:3.04 先幅:1.90 元重ね:0.81 先重ね:0.53 穴3
鎬造り、鎬高く庵棟低い、中切っ先。 表裏棒樋があり、茎途中で角留める。 鍛え、小板目、板目が上品に肌立ち、刃寄り柾状に流れ、沸映りほのかに立ち、地景が多数入り、地沸厚く付き、地鉄良好。 刃文、細直刃湾れ調で僅かに小互の目を交え、刃縁良く沸付き、刃中上品な金筋、砂流しが掛かり、匂い口やや沈み心に締まり気味となる。 帽子、直調大丸風となり、先焼き詰める。 茎磨り上げ、先切り、鑢不明。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。 尚、重要刀剣指定書(昭和五十五年九月八日指定)紛失のため、平成十五年五月一日に証明書発行済み。
【コメント】
手掻包真の重要刀剣在銘太刀、同派の典型を示した地刃の出来、凜然たる太刀姿、南北朝期を下らない大和物の在銘品は大変希少です。
手掻一派は、東大寺の西の正門である輾害(てんがい)門の近くに住して鍛刀したことからその名があると云い、東大寺専属の鍛冶集団であったと考えられています。
鎌倉末期正応(一二八八~九二年)頃の包永を祖とし、代表工にはその子とされる包清、門下の包俊、包友、包吉、包次、包真、包氏らがいます。以後それぞれの後代が南北朝から室町期に掛けて活躍、大和五派の中では最も繁栄した一派で、新刀期に入っても文珠鍛冶として分派、南紀重国、陸奥守包保などの名工を輩出しました。
作風は、鎬高く、鎬幅の広い造り込み、鍛えは、板目が刃寄り流れ心で、地沸が厚く付いて強く冴えるものを基本とし、中には小板目が詰んで柾気が全く目立たず、一見来国俊、国光に紛れそうな京物を思わせる作もあります。刃文は、小沸出来の直刃を基本にし、中には細直刃の沸の穏やかな作、荒沸のムラ立つ烈しい作もあり、刃に沿って湯走り、二重刃、ほつれなどが見られます。
本作は手掻包真の在銘太刀、包真は包永門人で初代を康安(一三六一~六二年)、二代を応永(一三九四~一四二八年)とし、以後室町末期まで数代に及んでいます。
図譜、探山先生鞘書きにも『南北朝期を下らない作』としていますので、初代と見て間違いありません。包真の在銘品は、ほぼ室町期の後代作しか残っていませんので、初代はかなり貴重です。
少し磨り上がっていますが、寸法二尺四寸四分弱、重ねしっかりとして鎬高く、鎬幅の広い造り込み、小板目、板目が上品に肌立ち、刃寄り柾状に流れる鍛えで、沸映りがほのかに立ち、地景が多数入るなど、鉄が良く冴えています。
細直刃湾れ調の焼き刃は、僅かに小互の目を交え、刃縁良く沸付いて、刃中上品な金筋、砂流しが掛かっています。帽子の焼き刃も健全で先は綺麗に焼き詰めています。
地刃に細かな鍛えはありますが、図譜には『地刃の出来良く、銘も貴重である。』、鞘書きにも『同工及び同派の見所を示す優品也。この期の同工の在銘作は少なく珍重然るべき哉。』とあるように、南北朝期の手掻の在銘太刀でこれ位寸法のあるものは中々お目に掛かりません。しかも重要刀剣、大和物の在銘品はとにかく押さえて下さい。