直刀 (太刀銘)豊国住河野貞光謹作
(とよのくにじゅうこうのさだみつつつしんでつくる)
模伊勢神宮御神宝太刀
(茎棟)乙丑年五月吉日(昭和六十年)
Chokuto:Toyonokuniju KohnoSadamitsu
現代・福岡
拵え付き(金荘飾太刀拵え写し)
刃長:79.0(二尺六寸強) 反り:僅か 元幅:2.49 先幅:1.76 元重ね:0.62 先重ね:0.47 穴なし
切刃造り、鎬高く丸棟低い、猪首風切っ先。 鍛え、小板目詰んだ鍛えに、柔らかな柾が細かに流れる鍛え、地沸良く付き、地鉄良好。 刃文、細直刃調の焼き刃は、刃縁に細かなほつれ、打ちのけ、二重刃を交えて、上品な金筋掛かり、小沸が均等に付いて、匂い深く、匂い口も明るく冴える。 帽子、直調で先掃き掛け僅かに返る。 茎生ぶ、先栗尻、鑢化粧筋違い。 銅に金鍍金ハバキ。 時代研磨(僅かに小サビ、ヒケ有り)。 白鞘入り。
金荘飾太刀拵え写し(現代作 全長120 鞘 茶色の梨地に金の鳳凰蒔絵、石突、鞘尻、責金物、長飾り等金具類は銅地に金の塗り、所々に石(緑と朱)をはめ込む 柄 鮫に兜金、縁金物、銅に金塗り、真鍮金具に石を入れた俵鋲 目釘穴無 鍔 銅に金塗り唐鍔)付き。
【コメント】
今虎徹、現代の最上大業物鍛冶河野貞光による、大変希少な伊勢神宮御神宝太刀写し、現代物ながら、派手やかな飾り太刀拵えが付属した大珍品です。
貞光は河野博と言い、昭和二十五年生まれ、福岡県京都(みやこ)郡みやこ町犀川本庄に住しました。桜井卍正次系門人であった父国光に学び、後に人間国宝月山貞一門下に入りました。今や誰もが知る、現代の最上大業物鍛冶、『今虎徹』とも称され、岩をも斬り裂くと云うその斬れ味は、特に居合い抜刀愛好家の間で垂涎の的、ここ十数年で、最も有名になった刀匠ですが、平成二十五年、六十三歳で没。未だに人気の衰えを知らない、入手困難な刀工の筆頭に挙げられる人物です。
本作は昭和六十年、同工三十五歳の頃の作で、銘文にあるように、伊勢神宮御神宝太刀を写した、二尺六寸を超える直刀です。この年は、『第六十一回伊勢神宮式年遷宮』が執り行われた年でもあります。実用を重視した刀造りを追求した同工にあって、この手の写し物は、まずお目に掛かりません。
直刀は、日本刀が登場する以前、古くは三世紀の古墳時代から見られ、平安中期頃まで製作されています。ほぼ反りがなく、突くことよりも断ち斬ることが主とし、切り刃造りを基本としています。六世紀の飛鳥時代、聖徳太子(厩戸皇子)の差し料であったと伝わる、国宝『丙子椒林剣』、『七星剣』が最も有名です。
小板目詰んだ鍛えに、柔らかな柾が細かに流れる鍛え、細直刃調の焼き刃は、刃縁に細かなほつれ、打ちのけ、二重刃を交えて、上品な金筋掛かり、小沸が均等に付いて、匂い深く、匂い口も明るく冴えています。同工の直刃自体かなり珍しいですが、大変上手で、見応え充分、かなりの入念作と鑑せられます。
外装は、いわゆる金荘飾り太刀拵えの写しで、作刀とほぼ同時期の作と鑑せられます。飾り太刀拵えは、平安期以降、公卿が使用した儀仗用の拵えで、江戸期に到っては、大名の束帯姿の際にも佩用されました。本作は余り上質な作ではありませんが、茶の梨子地鞘に、鳳凰の蒔絵、金具類は銅地に金鍍金で、枝菊紋等を透かし彫り風にし、所々緑と朱の石をはめ込み、鐔は分銅型で、左右に蔓金(つづらがね)を付けた唐鐔、真鍮金具に石を入れた俵鋲等々、本歌を忠実に再現しようとした意図は感じます。
今虎徹、河野貞光による、大変希少な伊勢神宮御神宝太刀写し、これだけの飾り太刀が付属した作は、他に見当たらないと思います。