刀 近江守高木住助直
(おうみのかみたかぎじゅうすけなお)
延宝九年三月日(一六八一)
Katana:OhminokamiTakagijuSukenao
新刀・摂津 江戸前期 良業物 拵え付き
第二十四回重要刀剣指定品
本阿弥日洲先生鞘書き有り
探山先生鞘書き有り
刃長:69.6(二尺三寸弱) 反り:1.8 元幅:3.46
先幅:2.10 元幅:0.73 先幅:0.53 穴1
鎬造り、鎬高め庵棟尋常、中切っ先。 鍛え、地沸を厚く付けた小板目肌は、細やかな地景をふんだんに配し、上品な肌立ちを見せながら、緩みなく良く詰まって、地鉄精良。 刃文、直湾れ調の大坂焼き出しから、鎬に掛かる程華やかな濤瀾風の大互の目乱れを焼き、刃縁の匂い深く、焼き頭、焼きの谷に美しい小沸が付いて、刃中柔らかく太い互の目足が繁く入り、上品な砂流し、金筋掛かり、匂い口の明るく冴える。 帽子、焼き深く湾れ調で小丸風となり、先掃き掛け返る。 茎生ぶ、先入山型、鑢化粧大筋違い。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代最上研磨。 白鞘入り。
上打ち刀拵え(現代作 全長99センチ 鞘 黒の呂鞘、返り角あり 小柄笄、無銘、赤銅魚子地据紋象嵌色絵、葵に波水鳥図の二所、下げ緒紺色 柄 親鮫に紺柄巻き、縁頭(銘光義花押)赤銅魚子地据え紋象嵌色絵鶴の図、目貫四分一地容彫鶴の図 鍔 赤銅魚子地丸形据紋象嵌色絵、竹林に鳥の図 切羽銅に金着せ)付き。
【コメント】
近江守助直の重要刀剣、延宝年紀入り、同工壮年期に於ける、濤瀾風大互の目乱れの傑作、師に比肩する地刃の出来、欠点の見当たらない新刀重要です。
助直は、寛永十六年、近江国高木(現滋賀県野洲市高木)に生まれ、通称を孫太郎と言い、後に摂津へ出て、晩年のそぼろ助廣門下に入り、二歳年上の二代助廣と共に初代を助け、二代が独立してからは、その下で学び、後に妹婿になったと伝えています。自らが独立すると、一旦高木へ帰りましたが、天和二年三月に、二代助廣が急逝すると、摂津へ戻り、以後常住しました。寛文九年初め頃に『近江大掾』、同年夏頃に『近江守』へ転じました。同工の年紀作に見る活躍期は、寛文八年三月から元禄六年二月まで、寛文八年は、同工三十歳に当たる年、その年まで自身銘の作が見られないことは、それまで初二代の協力者としての修行期間であったと考えられます。正確な没年は不明ですが、最終年紀の元禄六年は、五十五歳に当たる年で、それ以後間もなくして没したとされます。
銘振りは、最初『近江国住助直』、受領後は『近江大掾藤原助直』、『近江守藤原助直』、『近江守助直』、『近江守高木住助直』と切ります。『直』の字の『目』の中を『〒』の如く切るのは、天和二年二月から、前述したように、天和二年三月に、二代助廣が急逝すると、同年八月からは、『津田近江守助直』とのみ切り、助廣と同様、丸津田風の書体となります。津田姓を冠するのは、助廣一門の棟梁の証、この時より、助直が名実共に一門の棟梁になったことを証明しています。またこれ以降『高木住』と添えた銘が見られないことは、それまで摂津と高木を往来していた助直が、摂津に定住したことを意味しています。 作風は、師伝の濤瀾乱れを見事に継承しており、その他に互の目乱れ、大湾れに互の目交じり、湾れ調、直刃もありますが、どれも上手く、師に迫る作もまま見られます。
本作は延宝九年、同工四十三歳の頃の作、師が没する丁度二年前、師を支えながらも、門下の牽引役を担っていた壮年期の傑作刀、寸法二尺三寸弱、元幅3.46㎝、先幅2.10㎝で、元先身幅の差がありながらも、反りが1.8㎝とやや深く付いています。これは寛文新刀から、貞享、元禄頃の姿へ移行して行く、過渡期の姿を示しています。直湾れ調の大坂焼き出しから、鎬に掛かる程華やかな濤瀾風の大互の目乱れは、刃縁の匂い深く、焼き頭、焼きの谷に美しい小沸が付いて、刃中柔らかく太い互の目足が繁く入り、上品な砂流し、金筋掛かり、匂い口の明るさ、冴えに於いては、師に比肩するものがあります。地沸を厚く付けた小板目肌は、細やかな地景をふんだんに配し、上品な肌立ちを見せながら、緩みなく良く詰まっています。流石は新刀重要、このレベルになってくると、隙がなく、欠点が見当たりません。また同工自身、余程心技体が充実していたのか、地刃から覇気が溢れています。
付属の外装は、主に赤銅魚子地金具を使用、小柄笄は二所物で、葵に波水鳥図、 縁頭は在銘品鶴図、鐔は竹林に鳥図など、全て鳥類でまとめあり、どれも金がふんだんに乗った良作です。
助直が典型的な濤瀾風乱れ刃を焼いた、同工壮年期の傑作、師の技を見事継承した見事な一振り、新刀重要の美しさ、健全さを存分に味わって頂ける名品です。