刀 (表)武蔵国於東都芳太□入道久弘
(むさしのくにとうとにおいてにゅうどうひさひろ)
鍛錬納以獨乙鉄六十八歳造之
(裏)同嫡子友成五十八代孫 宝龍斎源友久作
(ほうりゅうさいみなもとのともひささく)
昭和六歳八月□日(一九三一)
Katana:Musashinokuni Tohto Nyudo Hisahiro
現代刀・東京
保存刀剣鑑定書付き
刃長:94.5(三尺一寸二分弱) 反り:2.2 元幅:4.77
先幅:3.27 元重ね:0.75 先重ね:0.52 穴2(内1忍)
鎬造り(横手なし)、鎬庵棟尋常。 鍛え、小杢目に小板目を交えて細かに肌立ち、地沸微塵に厚く付き、地景繁く入り、地鉄良好。 刃文、互の目乱れ主体で、角張った刃、小互の目を交え、刃縁良く沸付いて匂い深く、刃中小足繁く入り、金筋、砂流し頻りに掛かる。 帽子、湾れ調で、先小丸に返る。 茎生ぶ、先栗尻、鑢不明。 銀ハバキ。 時代研磨(小サビ、曇り有り)。 白鞘入り。
【コメント】
本作は、昭和六年(一九三一)作、寸法三尺一寸二分弱、武蔵国東都住久弘と宝龍斎源友久による、親子合作の奉納大太刀です。
久弘、友久共に、銘鑑等では見掛けませんが、本作の出来映えからすれば、かなりの実力者であると思われます。
小杢目に小板目を交えて細かに肌立つ地鉄は、地沸微塵に厚く付き、地景繁く入り、互の目乱れ主体で、角張った刃、小互の目を交えた刃文は、刃縁良く沸付いて匂い深く、刃中小足繁く入り、金筋、砂流しが頻りに掛かっています。
現状は小サビが出ますが、元から先まで地刃に破綻なく、丹念に鍛えています。
茎が少し荒れ模様で、所々朽ち込んでいる箇所もあるため、銘字が全て判読出来ませんが、この時久弘が六十八歳であること、『鍛錬納以獨乙鉄』とあることから、いわゆる南蛮鉄を含んだ玉鋼で鍛刀した旨などが刻まれています。
『獨(独)乙』とは、ドイツの漢字表記、『独』、『独逸』とも書きます。
我が国では、室町末期、刀剣、鉄砲等の大量需要に伴い、いわゆる南蛮貿易によって、材料鉄を輸入しました。鉄の産出国は、ドイツ、ベルギーなど複数あり、これらを運んだ船を南蛮船と呼んだことに因み、南蛮鉄と総称しました。
一度ご覧頂ければ、お分かりになるかと思いますが、この地刃の独特な働きは、南蛮鉄を含む鋼材特有のものと思われます。
白鞘に収めた状態で、全長四尺五寸弱、総重量2,600g弱の超大作、この度、保存鑑定を取得、これは大珍品です。