太刀 備州長船(以下切)(伝長船秀光)
(でんおさふねひでみつ)
Tachi:Den Osafune Hidemitsu
古刀・備前 南北朝末期 最上大業物
保存刀剣鑑定書付き
刃長:70.3(二尺三寸二分) 反り:1.8 元幅:3.13
先幅:2.14 元重ね:0.64 先重ね:0.39 穴3
鎬造り、鎬庵棟低め、中切っ先。 表裏共に腰元から茎に掛けて彫りが残り、表は梵字と三鈷柄附き剣、裏にも梵字、樋などの痕跡有り。 鍛え、板目に杢目、流れ肌を交え、所々大模様に肌立ち、地沸厚く付き、地斑状の映り立ち、地景入り、地鉄良好。 刃文、小互の目に小乱れ、小湾れ交じりで、刃縁小沸付いて匂い深く、刃中小足、葉入り、所々金筋、砂流し掛かる。 帽子、湾れ調で沸付き、先僅かに掃き掛け返る。 茎磨り上げ、先栗尻、鑢勝手下がり。 銅に金着せ二重ハバキ。 時代研磨。 白鞘入り。
【コメント】
秀光は、いわゆる小反り一派に属する刀工で、最上大業物鍛冶としても有名です。
同銘が四代に及んでおり、初代を建武(一三三四~三六)とし、以降応安(一三六八~七五)、至徳(一三八四~八七)、応永(一三九四~一四二八)と続きます。
小反り派は、一説によると、主に南北朝中期から室町前期頃に掛けて活躍した長船兼光系鍛冶の総称とされており、代表工には、秀光を筆頭に、成家、守助、守弘、恒弘、光弘、正久などがいます。
本作は、寸法二尺三寸二分、三寸程磨り上がっており、銘が『備州長船』で以下切れになっていますが、鑑定では『伝長船秀光』としています。
元来は、二尺六寸を優に超える太刀で、その勇壮な姿、地刃の雰囲気などからして、南北朝末期は下らない作と鑑せられます。
板目に杢目が所々大模様に肌立つ地鉄は、地斑状の映り立ち、小互の目に小乱れ、小湾れ交じりの刃は、刃中小足、葉入り、所々金筋、砂流しが掛かっています。
総体的に小模様の乱れ、断続的な備前映り立つ地鉄は、如何にも小反りらしい雰囲気です。
経年による研ぎ減りも最小限、大きな疵なく、腰元に残った生ぶ彫りも、備前物らしい趣のある良い彫りです。
最上大業物長船秀光の太刀、寸法十分で姿も崩れていません。