脇差し 和泉守兼重
(いずみのかみかねしげ)
寛永十七年(一六四〇)
Wakizashi:Izuminokami Kaneshige
新刀・武蔵 江戸前期 良業物
保存刀剣鑑定書及び特別貴重刀剣認定書付き
刃長:35.6(一尺一寸八分弱) 反り:0.5 元幅:3.50 元重ね:0.58 穴1
平造り、庵棟高い。 鍛え、小板目に板目を交えて肌立ち、地沸厚く付き、地鉄良好。 刃文、互の目乱れに小互の目、湾れ交じり、刃縁荒沸付いて二重刃風の沸筋掛かり、飛び焼き交じる。 帽子、湾れ調で沸付き、先掃き掛け小丸に返り、棟寄りにも断続的に焼き入る。 茎生ぶ、先栗尻、鑢大筋違い。 銅に金着せハバキ。 時代研磨(ヒケ、細かな刃アタリ有り)。 白鞘入り。
【コメント】
新刀期の江戸鍛冶で、初代越前康継、野田繁慶に次いで現れたのが和泉守兼重であり、元は越前の矢の根(やじり)鍛冶であったと伝えられています。後に藤堂和泉守高虎の抱え工となり、初め和泉大掾、後に和泉守を受領、二代が上総介兼重です。
截断銘入りの作もまま見受けるように、業物鍛冶としても名高く、その鋭い斬れ味は多くの武人を魅了、かの有名な剣豪宮本武蔵の愛刀であったとも伝わっています。
生年没年は不明、年紀作もほとんど見られませんが、年紀の上限は寛永二年(一六二五)で、万治(一六五八~六一)初年頃まで鍛刀したと伝えています。
作風は、湾れ調に互の目が連れて刃中足が繁く入るもの、直刃調に浅く湾れを交えて刃縁が明るく冴えたものの二つに大別されます。
銘は、『武州江戸住兼重』、『和泉大掾藤原兼重』、『和泉守兼重』、『和泉守藤原兼重』などと切り、字体は寛永中頃から独特の隷書風となり、晩年の正保頃には更に細鏨になります。
本作は、寸法一尺一寸八分弱、身幅広い大柄な平脇差し、『寛永十七年(一六四〇)』の年紀は大変稀少です。
同工の一作風を良く示した地刃の出来で、鍛え肌も少しありますが、これだけ身幅があると迫力が違います。
剣豪宮本武蔵が認めた和泉守兼重、初代の作は中々出ませんし、且つ年紀入りは貴重です。