刀 (太刀銘)応児玉唯克需
固山宗兵衛宗次作之
(こやまそうべえむねつぐこれをつくる)
天保八丁酉年二月日(一八三七)
Katana:Koyama Sobe Munetsugu
新々刀・武蔵 江戸末期
第四十九回重要刀剣指定品(二〇〇二)
刃長:72.7(二尺四寸弱) 反り:1.8 元幅:3.14
先幅:2.19 元重ね:0.79 先重ね:0.55 穴1
【コメント】
固山宗次の重要刀剣、同工最良期の『天保打ち』による注文打ち入念作、古作一文字を思わせる覇気溢れる宗次丁子を焼いた傑作です。
宗次は享和三年(一八〇三)、奥州白河に生まれ、水心子正秀門であった米澤藩工加藤綱英に鍛刀を学びます。文政十二年(一八二九)まで白河、翌年主家松平家に従って桑名へ移りました。桑名滞在は僅か一年余り、大半は江戸麻布、四谷に住しました。弘化二年(一八四五)に『備前介』受領、没年は不明ですが、作品は文政後半から明治四年頃まで残っています。また大業物作者としても名高く、試し斬りの名人、七代山田浅右衛門吉利らに刃味利鈍の指導を受け、斬れる刀を探求、截断切り付け銘の入った作もまま見受けられます。新々刀期に於いて最も成功した鍛冶の一人であるため、大名や当時の著名人の注文打ちも多く見られます。
作風は、自ら求めて『備前介』を受領していることからも分かるように、一貫して備前伝、良く詰んだ精良な鍛えに、匂い深く明るく冴えた丁子乱れを得意とし、その美しさから、世上、『宗次丁子』と呼称されます。
本作は、平成十五年(二〇〇三)、第四十九回の重要刀剣指定品、天保八年、宗次三十五歳の頃の作、いわゆる『天保打ち』による、注文打ち入念作です。
『天保打ち』とは、同工前期に当たる二十代の終わりから四十代初め頃までの作を指し、この頃に覇気溢れる傑作が多いことから重宝されます。実際同工の重要刀剣指定品の内、六割近くが『天保打ち』であることもその裏付けの一つかと思います。
寸法二尺四寸弱、切っ先鋭角に延び心、元先身幅の差が少なく、重ね厚い勇壮な姿に、華やかな丁子刃を破綻なく焼いています。
一見鎌倉盛期に於ける一文字を思わせる地刃の味わいは、当時最高級と称された、石見国産の『出羽(いずわ)鋼』に因るものと考えられます。宗次は、この出羽鋼を以て鍛刀することでも有名で、その旨を茎に刻む場合も稀にあります。石州出羽の地は、現在の島根県邑智郡邑南町(おおちぐんおおなんちょう)出羽付近に当たります。
固山宗次の『天保打ち』、且つ注文打ちの新々刀重要となれば、物が違います。
自信を持ってお薦め出来る優品です。