脇差 信濃守国廣
(しなののかみくにひろ)
慶長十二二(年)二月(一六〇九)
Wakizashi:Shinanonokami Kunihiro
新刀・山城 江戸初期 最上作 拵え付き
第四十六回重要刀剣指定品(平成十二年)(二〇〇〇)
薫山先生鞘書き
小野博(無鑑査)研磨
『堀川国廣とその一門』所載品

刃長:30.65(一尺一分強) 反り:僅か 元幅:2.88 元重ね:0.72 穴1

合口拵え(近代作 全長49.5 鞘 黒の呂鞘 下げ緒黒 柄 出し鮫柄 二所 波扇図 銘後藤光勝 後藤八郎兵衛家三代快乗同人 小柄、赤銅地鋤出高彫、金銀色絵 目貫、赤銅容彫金銀色絵)付き。

【コメント】
堀川国広の重要刀剣、慶長十四年作、晩年の『堀川打ち』、小野博(無鑑査)の最上研磨、『堀川国廣とその一門』所載の同工代表作です。
国廣は、享禄四年(一五三一)、日向国古屋(ふるや)の地、現在の宮崎県東諸県(ひがしもろかた)郡綾町入野(あやちょういりの)古屋に生まれ、日向伊東氏に仕え、鍛刀は父国昌に学びました。天正十年(一五八二)以降は、古屋を拠点としながら、山伏として各地を流浪、美濃国岐阜、相模国小田原、上野国足利などでも鍛刀しました。天正十八年に『信濃守』を受領、慶長四年(一五九九)頃からは京都一条堀川に定住、門下からは、末弟とされる国安を始め、出羽大掾国路、大隅掾正弘、越後守国儔、平安城弘幸、山城守国清、和泉守国貞、河内守国助等々、名だたる名工を輩出、その中で棟梁たる国廣は、『堀川物』と呼ばれる一つのジャンルを確立、新刀ながら重要文化財『山姥切国廣』を始め、重要文化財十口、重要美術品九口を数える名匠です。
京堀川に定住する以前の作は、『日州古屋打ち』、『天正打ち』と呼ばれ、末相州や末関を狙った乱れ刃が多く、定住後の『堀川打ち』、『慶長打ち』では、相州上工を狙った穏やかな刃調の作が多く見られます。
年紀作に見る活躍期は、天正四年から慶長十八年までの約四十年間、慶長十九年四月、八十四歳で没したと云います。
銘振りは、前期は『日州古屋住国廣作』、『九州日向住国廣作』などが多く、諸国流浪時は、銘文に『山伏之時作之』などと添え、後期は『国廣』、『藤原国廣』、『信濃守国廣』等が多く見られます。
本作は、平成十二年(二〇〇〇)、第四十六回の重要刀剣指定品、寸法一尺一分強、身幅広く、重ね厚めの勇壮な造り込み、『慶長十二二(年)二月(一六〇九)』の年紀から、同工晩年円熟期に於ける『堀川打ち』の優品です。
板目に杢目交じり、所々大模様にザングリと肌立つ地鉄は、区下より水影立ち、直湾れ調の刃は、刃縁やや沈み勝ちとなり、所々ほつれ、刃中金筋、砂流し掛かるなど、堀川物の典型と言える地刃の出来で、随所に同工の手癖が良く示されています。
加えて無鑑査小野博の最上研磨済み、小野博は、人間国宝小野光敬の子。名人の素晴らしい研ぎによって、地刃もすこぶる冴えています。
また本作は、平成二十六年(二〇一四)に、茨城県古河(こが)市の古河歴史博物館に於いて開催された、『堀川国広とその一門』展の図録所載品です。
付属の合口外装も、在銘の赤銅金具等を使用した立派な作です。
脇差しに傑作の多い国廣ですが、本作も晩年円熟期の代表作となる素晴らしい新刀重要です。




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