刀 (葵紋)越前国康継(二代)
(えちぜんのくにやすつぐ)
(金象嵌)寛文二年十月廿三日(一六六二年)
三ッ胴截断 山野加右衛門永久(花押)
Katana:Echizennokuni Yasutsugu
新刀・武蔵 江戸初期 良業物
第二十二回重要刀剣指定品
探山先生鞘書き有り
刃長:71.5(二尺三寸六分弱) 反り:1.3 元幅:3.22
先幅:2.10 元重ね:0.70 先重ね:0.50 穴1
【コメント】
越前康継(二代)の重要刀剣、見事な記内彫りに加えて、山野加右衛門永久による三ッ胴截断の金象嵌截断銘入り、同工最高傑作です。
二代康継は、初代康継の長男で、下坂市之丞と言います。元和七年に初代が没した後、二代目を継いで幕府御用鍛冶となり、父同様、越前と江戸の隔年交代勤務を命じられ、『葵紋』を刻す許可を得ています。寛永十三~十四年頃には入道して康悦と称しました。正保三年没。死後は後継問題が起こり、二代の長男が江戸三代、弟が越前三代を継ぎました。
作は元和末年から正保初年頃までとされますが、年紀作はほとんどありません。
作風は、初代風を良く継承しており、板目に杢が交じって肌立ち、地沸が微塵に厚く付き、地景細かに入り、鉄がやや黒みを帯びる越前鍛えに、湾れ調、又は直刃調に小互の目交じり、小足良く入り、ムラ沸が付き、刃中細かな金筋、砂流し掛かる出来を基本とします。
銘は、『(葵紋)越前国康継』、『(葵紋)以南蛮鉄於武州江戸越前康継』、入道後は『(葵紋)康継入道以南蛮鉄於武州江戸作之』などと切ります。
初二代の刀、平脇差しには、記内一門の手による特徴的な彫り物がまま見られ、倶利伽羅、不動明王、毘沙門天、薬師如来、文珠菩薩など、濃厚で力強い彫り口は大変見事であり、彫りの有無で大きく価値も変わってきます。
本作は、寸法二尺三寸六分弱、反りやや浅めに付いた力強い姿で、地刃すこぶる健全、刀がズシッと重いです。
板目肌が良く詰み、地沸微塵に厚く付いて上品に肌立つ地鉄は、やや黒みを帯びた精良な越前地鉄で、細かな地景がうねるように繁く入り、互の目乱れを主体にした焼き刃は、湾れ、やや角張った刃を交え、刃縁の沸匂い一際深く明るく冴え、刃中小互の目足、葉入り、金筋、砂流しが掛かっています。
鞘書きには、『所々刃沸が地にこぼれ、帽子を深く焼き下げるなど、二代の特色を明示しており、且つ出来が同作中屈指也。』とあります。
流石は新刀重要、地刃の冴え、刃の明るさ、健全さのレベルが違います。また研ぎも良いので、地刃の美点が存分に示されています。
刀剣有識者の方々は、『二代は本当に上手い。』と口を揃えて仰いますが、本刀をご覧頂ければ、その意味がご理解頂けるでしょう。
特筆すべきはこの彫り物、表に三鈷附き剣の先を掴む下り龍、裏には梵字と護摩箸があります。鞘書きにもありますが、この龍の顔付き、深い彫り口、斬新な意匠は、紛れもない記内彫りであり、且つ彫り物は全く摩耗していませんので、如何に健全かが分かります。
『康継大鑑』等には、『記内彫りの倶利伽羅は色々あれども、この龍の意匠は、本刀のみ。』という内容の記載があります。
因みに長曽祢虎徹の脇差しに同じ意匠の自身彫りがありますが、それによって虎徹が越前出身であり、記内彫りを学んだ裏付けにもなっています。後々、水心子正秀、高橋貞次(人間国宝)らも、これを範に取った彫り物を残しています。
茎には寛文二年、山野加右衛門永久による『三ッ胴截断』の金象嵌銘もあります。
永久は、江戸期に活躍した試し斬り名人、永久の試し銘は、寛永頃を始めとして、寛文六年まで残されており、翌年に七十歳で没しています。
見事な記内彫りに加えて金象嵌截断銘入り、魅力満載、見所満載、これは二代康継の代表作として後世まで受け継がれる名刀です。強くお薦め致します。