刀 長船兼光(無銘)
(附)延宝二年本阿弥光常折紙
(おさふねかねみつ)
Katana:Osafune Kanemitsu(Mumei)
古刀・備前 南北朝中期
最上作 最上大業物
第十九回特別重要刀剣指定品
探山先生鞘書き有り
刃長:72.6(二尺四寸弱) 反り:1.8 元幅:3.12
先幅:2.62 元重ね:0.77 先重ね:0.67 穴2
【コメント】
長船兼光(無銘)の特別重要刀剣、古刀最上作にして最上大業物、健全さ、迫力、風格など、全てに於いて重要文化財に比肩すると認められた感動的な一振り、これ正に備前長船鍛冶の最高峰です。
備前国は平安末期以降、他国を圧倒する数多の刀工を輩出、平安末期から鎌倉初期に掛けては古備前派、鎌倉初期から南北朝期に掛けては一文字派が栄えました。鎌倉中期に最盛期を迎えた福岡一文字と時代を前後するように、長船の地(現岡山県瀬戸内市長船町)に登場したのが長船一派であり、光忠を事実上の祖として、嫡流は長光、景光、兼光と続き、南北朝期を迎える頃には同派の礎は盤石なものとなり、室町期に掛けては他派をも吸収、更に拡大し、刀剣史上他に類を見ない最大流派へと成長を遂げました。古刀全体に占める備前物の割合が約六割、その内長船物が約七割と云われていますので、古刀中の四割以上が長船物であるという計算になります。
本作は無銘ながら、長船兼光と極められた名品、平成六年、第四十回の重要刀剣指定品であり、平成十八年には、第十九回特別重要刀剣に指定された同工中傑出の名品です。
日刀保の審査基準によると、『特別重要刀剣は、重要刀剣の中で、更に一段と出来が傑出し、保存状態が優れ、国認定の重要美術品の上位に相当すると判断されるもの、若しくは国指定の重要文化財に相当する価値があると考えられるもの。』としています。更に本作は無銘であるため、当然在銘品よりも見方が厳しくなることを考慮するならば、如何に状態が優れているかご理解頂けると思います。
兼光は景光の嫡男で孫左衛門と称し、長船正系四代目として備前伝の伝統を継承しつつ、『正宗十哲』にもその名が挙がるように、相州伝を巧みに取り入れた作風、いわゆる相伝備前鍛冶の祖として、長船長義と双璧を成す名工です。
重要文化財十二口、重要美術品十六口を数えるなど、そうそうたる長船鍛冶の中にあって、名実共に最高峰です。
年紀作に見る作刀期間は、鎌倉末期の元亨(一三二一~二四年)から南北朝中期の貞治(一三六二~六八年)頃まで、その中でも延文(一三五六~六一年)年間が同工の晩年円熟期であり、傑作も多いことから『延文兼光』と呼称されます。
その作風は、鎌倉末期から南北朝前期の康永(一三四二~四五年)頃までは、太刀、短刀共に姿尋常で、刃文は直刃調に互の目、角互の目、片落ち互の目を主体に焼き、総体的に刃が逆掛かるなど、父景光の技を踏襲した出来が多く見られます。それ以降、貞和(一三四五~五〇年)、観応(一三五〇~五二年)辺りからは太刀、短刀共に姿も大柄となり、それまで見られなかった湾れ主調の刃文も見られるようになります。
このように兼光は南北朝期を境に変化を遂げた刀工であるため、古来より初二代説がありましたが、現在は一代長寿説が定説になっています。これは祖父長光や山城の来国俊などが、前期と後期で華やかな乱れ主調の出来から、直刃調の穏やかな作風へ変化していったように、作者が長寿で作刀期間が長きに亘る場合、戦闘様式や流行など、時代の求めに応じて、その作風、姿が変化することは、何ら不思議なことではないと考えられているからです。確実な銘の世襲が行われるようになったのは、南北朝中期以降の京信国辺りからになります。
また古来より最上大業物として、その斬れ味に於いても定評があり、『波遊ぎ』『水神斬り』『鉄砲斬り』『雷斬り』『兜割り』等々、号が付された作も多々あります。
本作は寸法二尺四寸弱、切っ先グッと伸びて、元先身幅の差が少ない雄渾な刀姿は、いわゆる『延文貞治型』呼ばれる、南北朝中期の典型的なスタイルを示しています。樋が掻き通してありますが、手に取った時にズシッとした重みがあり、南北朝期の刀とは思い難い重量感があります。
板目に杢目を交え、上品な肌立ちを見せる最上の備前鍛えは、地沸を厚く敷き、 細かな地景が肌目に沿って働き、鎬寄りには鮮明な乱れ映りが見られます。
下半は互の目、小湾れ、小互の目を主体に所々湾れ調となり、上半は浅い湾れを基調に互の目、小互の目を交え、刃縁明るく冴え、刃中小足、葉入り、金筋、砂流しが細かに掛かっています。
本作には『延宝二年本阿弥光常折紙』が付属しており、代金子二十枚の代付けが成されています。
光常は、本阿弥本家十二代当主で、十一代光温の孫に当たります。折紙は寛文七年(一六六七年)~元禄九年(一六九六年)まで残されており、宝永七年(一七一〇年)、六十八歳没。
本阿弥本家の折紙でも、十三代光忠までのものは、特に鑑定が厳格で信用が置けるため、『古折紙』又は『上折紙』と呼ばれ珍重されます。
その光常が破格とも言える二十枚の代付けをしたとなれば、如何に素晴らしい作であるかご理解頂けるかと思います。
図譜には、『姿、地刃の出来から南北朝最盛期に於ける兼光の特色が良く示されており、光常の極めは正に妥当、加えて地刃共にすこぶる健全で、重ねが厚く 手持ちの重い頑健な姿も素晴らしい。』、探山先生鞘書きにも、『刀姿、地刃の鍛えに同工後期の作域が認められ、出来、映り、健やかさ、貫禄共に出色であり、見事である。』とあります。
七百年の星霜を微塵も感じさせない地刃の健全さ、重量感、加えて鉄質の良さもレベルが違います。
鞘からスッと抜いた瞬間に、重要文化財ではないかと錯覚しまう程で、差し表物打ち付近の棟に残る深い受け疵も大きな勲章、古い登録証は、昭和二十六年三月の東京登録です。
これ正に備前長船鍛冶の王道ど真ん中、延文兼光の最高傑作と言っても過言ではないでしょう。
この素晴らしい名刀に是非感動して下さい。もう次はありません。