刀 井上真改
(いのうえしんかい)
(菊紋)寛文十二年八月日(一六七二)
Katana:Inoue Shinkai
新刀・摂津 江戸前期 最上作
第十一回重要刀剣指定品
寒山先生鞘書き有り
刃長:71.2(二尺三寸五分) 反り:1.4 元幅:3.32
先幅:2.35 元重ね:0.74 先重ね:0.52 穴1
【コメント】
『大坂正宗』こと井上真改の重要刀剣、同工最良期に於ける傑出の一振り、特にこの地鉄は、新刀中他に類を見ない感動的な美しさです。
真改は、寛永七年(一六三〇年)、初代国貞の次男として生まれ、八郎兵衛と称しました。大坂新刀鍛冶としては、津田越前守助廣と双璧を成し、助廣が匂い出来の代表なら、真改は沸出来の代表として、その妙味を良く示した名作を生み出しており、新刀鍛冶ながら、重要文化財二口、重要美術品五口を数える名工です。
真改の地鉄は、良く練られた美しい小板目、板目肌に、時折流れ柾の交じるものを基本として、上品に肌立つものと、梨子地の如く詰んだものがあります。刃文は、中直刃調に互の目、湾れを交えたものを基本とし、最も多いのが湾れ乱れ、次いで直刃、互の目、大乱れの順になります。父の代作代銘期、最初期作に於いては、父譲りの頭の丸い互の目乱れを主調とした作風が多く、『井上和泉守国貞』銘となった寛文の初め頃からは、互の目乱れに湾れ調の交じる作が多くなります。所々互の目の突出した刃が交じるのも、この頃の特徴です。寛文七、八年頃からは、真改特有の広直刃調の深い焼き刃が見られるようになります。
真改の銘の変遷は、『和泉守藤原国貞』、『和泉守国貞』、『井上和泉守国貞』、『井上真改』の四つに大別されます。慶安元年(一六四八年)二月から、慶安五年(一六五二年)五月に初代が没するまでが、『和泉守藤原国貞』銘、いわゆる初代の代作代銘時期に当たります。
承応二年(一六五三年)八月から、『和泉守国貞』銘となり、万治四年二月からは、『井上和泉守国貞』銘、同時に『菊紋』も切るようになります。
寛文十二年(一六七二年)八月からは『井上真改』銘となり、天和二年(一六八二年)十一月、五十三歳で没。
本作は『寛文十二年八月日』年紀、真改四十三歳の頃で、前述のように『井上真改』に改銘した月の作であり、同工最良期に当たります。
寸法二尺三寸五分、身幅、重ねしっかりとして、地刃健全そのもの、研ぎ減りなど微塵も感じさせない刀身は、手持ちはズシッときます。
梨子地の如く美麗に小板目が詰んだ最良の地鉄は、地沸が微塵に厚く敷き詰められており、細美な地景をふんだんに配し、地の緩みなど僅かばかりもありません。
湾れ調の焼き刃は、刃中互の目が良く揃い、沸足繁く入り、刃縁には煌めくような美しい沸粒が均等に万遍なく付くなど、地刃共に明るく冴え渡っています。
新刀に於いて、これだけ地刃の冴え、沸匂いの深みがある作風は、他に類を見ませんし、『井上真改』銘の刀で出来、状態の良いものはまず出て来ません。
江戸中期、新刀研究の基礎文献となる『新刀弁疑』の著者、刀剣研究家鎌田魚妙(なたえ)も、『良く出来たものは、正宗にも劣らざるものあり。』と賞賛する真改の高い技量、それによって生み出された名品は数々ありますが、その中でも本作は出来、保存状態共に抜きん出ており、今後まずお目に掛かりません。
これが世上、『大坂正宗』と称された真改が、その実力を遺憾なく示した会心作であり、且つ『井上真改』銘の代表作になる一振りです。