脇差し 信国(初代)(無銘)
(のぶくに)
Wakizashi:Nobukuni(Mumei)
古刀・山城 南北朝中期 木箱付き
(附)寛文三年本阿弥光温折紙
第五十四回重要刀剣指定品
探山先生鞘書き有り
刃長:34.0(一尺一寸二分強) 反り:0.6 元幅:3.12 元重ね:0.49 穴3
【コメント】
初代京信国(無銘)の重要刀剣、第十一代本阿弥光温折紙付き、『貞宗三哲』にもその名を連ねる同工傑出の一振りです。
京信国は、古伝書によると、了久信(了戒の子)の孫と伝えられる来一族の刀工でありながら、相州貞宗にも師事し、その作風を良く継承したことから、『貞宗三哲』にもその名を連ねています。
活躍期は、南北朝中期の延文、貞治頃で、長谷部国重一派と同時期に当たります。
信国一派の伝統は、その後『応永信国』と呼ばれる、源左衛門尉信国、源式部丞信国らが継承、更に分派して越後国の山村正信一派、豊前国宇佐の筑紫信国一派、新刀期には筑前信国一派へと受け継がれています。
その作風は、小板目、板目が詰んだ鍛えに、来風の直刃と、貞宗風の沸の強い湾れ乱れ刃があり、直刃、乱れ刃に関わらず、刃寄りには、柾掛かって流れる肌合いが見られます。後代になると、初代風の湾れ調の作は減り、互の目調の乱れ刃が多くなります。
初代の造り込みは、寸延びで重ね薄めの大柄な平身脇差しが大半で、初代在銘確実な太刀は未だ発見されていません。
また同派は、代々彫り物を得意としており、素剣、梵字、鍬形、蓮台、護摩箸といった簡素なものから、櫃内に真の倶利伽羅の浮き彫りなど濃厚なものまで多種多彩ですが、初代には簡素なものが多く、濃厚な作は、応永信国に多く見られます。
本作は生ぶ無銘ながら信国(初代)と極められた一振り、寸法一尺一寸二分強、身幅広く重ね薄めの造り込みは、典型的な延文貞治姿を示した雰囲気抜群の平脇差しです。
小板目詰んだ美しい地鉄は、板目、流れ肌を交えてが上品に肌立ち、地色明るく、細かな地景良く入り、刃区より水影立ち、平地には沸映りが所々断続的に地斑風となるなど、何とも言えない肌合いを呈しています。
直湾れ調の焼き刃は、上半にゆったりとした互の目を交え、刃縁に美しい沸粒が付き、ほつれ、沸崩れ、二重刃風の湯走りが見られ、刃中小互の目、小乱れを交えて、上品な金筋、砂流し掛かるなど、刃中も良く働いています。
本作には図譜にも記載があるように、寛文三年(一六六三年)五月三日、十一代本阿弥光温による『信国』極めの折紙が附帯しており、『代金五枚』の代付けが成されています。
本阿弥光温は、本阿弥本家十一代当主で、折紙は寛永三年(一六二六年)~寛文七年(一六六七年)まで残されており、同年六十五歳没。この間、花押は五度変わって六種類ありますが、本折紙は寛文二年から見られる最晩年の花押です。
また本阿弥本家の折紙でも、特に十三代光忠までのものは、鑑定が厳格で信用が置けるため、『古折紙』又は『上折紙』と呼ばれ珍重されます。その中でも光温の時代は、特に極め、代付けが厳格であったことを考えると、大変価値のある折紙です。
探山先生鞘書きには、『沸の妙味を発揮して出来優れ、初代信国の特色が顕示された傑作。』、図譜にも『光温の極めは正に首肯し得るものであり、出来、保存状態共に同工極め中の出色と言える。』とあります。 京物の鉄味の良さ、初代信国の高い技量を存分にお楽しみ頂けるの名品です。