脇差し 無銘(伝江義弘)
(ごうよしひろ)
Wakizashi:Mumei(Den Gou Yoshihiro)
古刀・越中 鎌倉末期 最上作
特別保存刀剣鑑定書付き
刃長:52.7(一尺七寸四分弱) 反り:1.0 元幅:2.69
先幅:2.03 元重ね:0.64 先重ね:0.50 穴3
【コメント】
伝江義弘(無銘)の脇差し、『日本三作』、『正宗十哲』に名を連ねる幻の名工、同工特有の沸の妙味、輝きを存分に示した優品です。
義弘は、越中国松倉郷(現富山県魚津市)に在住したことから略して郷義弘、また江右馬允(うまのすけ)とも名乗ったと伝わることから江義弘とも呼ばれます。
松倉城主桃井家に仕え、鍛刀の道を志して相州鎌倉へ下り、五郎入道正宗に学んで帰国したと伝えています。
同工は粟田口吉光、相州正宗と共に『日本三作』にその名を連ね、江戸中期以降の折紙等では、価値が付けられないとして『無代』、『不知代』扱いとなっています。また左文字、則重、志津兼氏等同様、『正宗十哲』の筆頭に挙げられ、『稲葉江』、『富田江』の国宝名物二口を始め、重要文化財五口、重要美術品五口を数える名工でありながら、相州貞宗同様に在銘正真作はありません。古来よりの言い伝えである『江とお化けは見たことがない。』は、余りにも有名な言葉です。
活躍期は、鎌倉末期から南北朝初期とされ、姿は、切っ先も身幅も尋常なものが大半ですが、中には身幅狭く小切っ先のもの、前述の国宝名物の如く幅広で切っ先の延びたものもあります。
作風は、勿論相州伝ですが、正宗や則重ほど地刃の沸が露わではなく、地鉄も時に柾掛かるものもありますが、その多くは板目が良く詰み、地色明るく潤いがあり、地景も細やかとなります。刃文も湾れに互の目を主体としますが、出入りが左程目立たず、刃縁には美しく輝く刃沸、刃中に沸足が良く働き、匂い口は深々として明るく冴え渡るなど、如何にも垢抜けた感があります。帽子の焼きが往々にして深く、沸付いて一枚風に返るのも特徴です。
これらの作風、特に沸の働き、輝き、冴えを私淑したと思われるのが、新刀期の長曽祢虎徹、井上真改です。
本作は寸法一尺七寸四分弱、反りやや浅めに付き、鎬高めの上品な造り込み、大磨り上げ無銘ながら、『伝江義弘』と極められています。
直湾れ調の刃取りで、ほつれ、二重刃、喰い違うような刃が細かく働く焼き刃は、刃縁の沸匂いの層厚く、刃中小互の目調の沸足が入り、匂い口は霞掛かったように明るく輝き、地と刃の境は判然としません。
板目が沈み勝ちに詰んだ地鉄は、所々流れ心に肌立ち、仔細に見ると、刃縁から黒光りする細かな沸粒が地にこぼれるように広がり、一部凝結して湯走り状を呈しています。同工ならではの地刃の変化を示し、茎のサビ色、味わい、雰囲気も抜群です。
『日本三作』、『正宗十哲』の江義弘、今正にここにあり、これはお化けでも幻でもなく現実です。次お目に掛かれるのが何時になるか皆目見当も付きません。