刀 於江戸礫川館水府住勝村徳勝作之
(えどこいしかわやかたにおいて
すいふじゅうかつむらのりかつこれをつくる)
元治元年甲子八月日(一八六四年)
Katana:Edokoishikawayakata Suifuju Katsumura Norikatsu
新々刀・常陸 江戸末期
特別保存刀剣鑑定書付き
刃長:75.7(二尺五寸弱) 反り:1.4 元幅:3.22
先幅:2.17 元重ね:0.72 先重ね:0.51 穴1
【コメント】
幕末期水戸鍛冶筆頭、勝村徳勝晩年円熟期作、大和伝柾目鍛えの完成形、江戸小石川水戸家上屋敷鍛刀場、いわゆる『勝村工房』作による、同工傑出の一振りです。
勝村徳勝は水戸藩士の子として、文化六年に生まれ、市毛徳鄰門人の関内徳宗に学び、後に水戸藩工となります。嘉永五年、水戸烈公こと徳川斉昭の命により江戸に出て、細川正義や運寿是一にも学び、斉昭の向こう槌も務めました。幕末期の尊皇攘夷運動の激化に伴って、その総本山である水戸藩に注目が集まると、水戸刀の重要が急激に増えました。これを受けて水戸藩は、江戸小石川の水戸家上屋敷に鍛刀場を設け、徳勝を現場責任者として任命、弟子数名とで構成された刀剣製作者集団は、『勝村工房』と呼ばれました。徳勝は実戦本位の刀を鍛えていく中で、その斬れ味を追求した結果、大和伝法の柾目鍛えにその強さを見出し、水戸藩士のために最高水準の実戦刀を提供しました。明治五年、六十四歳にて没。尊皇攘夷派の水戸天狗党、桜田門外の変で、井伊直弼を暗殺した水戸浪士達の指料等々、激動の幕末史と徳勝刀は、切っても切り離せない関係、未だその人気に陰りを見せないのはこのためです。
本作は元治元年、同工五十六歳の頃の作で、銘文に『於江戸礫(こいし)川館』とあるように、江戸小石川水戸家上屋敷鍛刀場で鍛えられた『勝村工房』作、寸法二尺五寸弱、身幅重ねしっかりとした雄壮な姿、正に大和保昌鍛えの如く 精美な柾目肌は、ゆったりと波状に流れ、肌目に沿って黒粒の荒沸が筋状に凝結して湯走りを形成、所々それらが幾重にも重なって、筋映り若しくは二重刃 三重刃のような働きを示しています。湾れ乱れ調の焼き刃は、刃沸良く付き、肌目が強く作用した刃縁は 二重刃、ほつれ、打ちのけなど、縦方向の働きがふんだんで、鎬地にも綺麗な柾目が流れています。『鹿嶋郡砂鉄』を使用した地刃の働きは余りにも多彩で、言葉では表現し難い程素晴らしいものがあります。
『鹿嶋郡砂鉄』は、現在の茨城県鉾田市、鹿嶋市、神栖(かみす)市付近で、奈良時代から採取されていたと伝わる、大変良質な砂鉄です。
元治元年は、三月に『天狗党の乱』、七月には『蛤御門(はまぐりごもん)の変』と、幕末争乱もいよいよ最終章を迎えんとしていた混乱の年、更に本刀が生み出されたこの水戸藩邸で産声を上げた徳川慶喜が、最後の将軍となるべく、幕府中央から半ば独立した勢力基盤を構築していた頃に当たります。
勝村徳勝が美と斬れ味を追求した大和伝法ここに極まる、『勝村工房』作であることを記した銘文も大変貴重、茎の状態も抜群で、地刃健やか、同工晩年円熟期傑出の一振りです。