刀 九州肥後同田貫藤原正国
(きゅうしゅうひごどうたぬきふじわらのまさくに)
八月日
Katana:KyusyuHigo DohtanukiFujiwaranoMasakuni
古刀・肥後 安土桃山期
拵え付き
特別保存刀剣鑑定書付き
刃長:71.1(二尺三寸五分弱) 反り:1.7 元幅:3.59
先幅:2.73 元重ね:0.88 先重ね:0.65 穴1
打刀拵え(幕末期 全長98センチ 鞘 黒の呂鞘 こじり、鯉口素銅石目地 下げ緒青丹色 柄 鮫に時代黒柄巻き 縁頭鉄地無地 目貫赤銅地容彫色絵 鍔 鉄地丸形透、真鍮象嵌、三つ巴図)付き。
【コメント】
九州肥後同田貫正国の豪壮無比な一振り、現代刀のような迫力、重量感、これは間違いなく、同工並びに同派の代表作となる豪刀、世界最強の実戦刀です。
同田貫一派は、肥後熊本の戦国武将、加藤清正の抱え工として、室町最末期から江戸初期に掛けて活躍した鍛冶集団で、肥後延寿派の末裔に当たります。一派は『文禄・慶長の役』と呼ばれる朝鮮出兵の際、清正に従って朝鮮に赴き、その地で盛んに鍛刀しました。明軍、朝鮮軍兵士は、同田貫刀の凄まじい斬れ味、破壊力に驚愕したと云います。以来、天下無双の実戦刀として、その地位を不動のものとし、今なおその人気には、全くの陰りを見せていません。
そんな一派の棟梁として門下を率いたのが正国、小山上野介信賀と言い、左馬介と称し、初期は国勝とも名乗っており、後に加藤清正より『正』の字を賜り、正国と改めました。『九州肥後同田貫藤原正国』、『九州肥後同田貫上野介』などと銘切りますが、大半は上野介銘になります。活躍期は天正から慶長後期頃まで、慶長十八年に没したと云います。清正は、正国の刀に絶大なる信頼を置いており、その頑強な造り込み、凄まじい斬れ味から、『折れず曲がらず同田貫』、『兜割り正国』などの賛辞を送ったと云います。
本作は寸法二尺三寸五分弱、切っ先延び心に力強く張って、鎬高めの造り込みは、豪壮無比な典型的な慶長新刀スタイルで、元幅3.59㎝、先も2.73㎝、刀身のみで1,020g、研ぎ減りを全く感じさせない、現代刀のような健全さは、四百年前の刀と到底思えません。地沸を厚く付けた板目肌は、流れ肌を交えて細かに肌立ち、地には白け心があり、常よりも穏やかで整った肌合いを示しており、直湾れ調の焼き刃は、刃縁の沸が良く働いて、ほつれ、打ちのけ、二重刃風を呈しており、刃中小足、葉が間断なく入って、上品な金筋、砂流しが掛かり、匂い口も明るく締まり気味となっています。常よりも増して、大振りで力強い銘振りも大変素晴らしく、同工壮年期の会心作と言えるでしょう。
刀から溢れ出る圧倒的な威圧感、健全さ、重量感こそ、同田貫刀の醍醐味ですが、本刀は全てを満たしており、現状古研ぎですから、ピシッと仕上げて、ハバキも金着せに替えれば、名刀の雰囲気が備わってきますので、楽しみな一振りになるかもしれません。特別保存鑑定が付いたばかりの激生ぶ品、付属の幕末拵えは、鉄地三つ巴透かしの真鍮象嵌鐔の他、鉄地、素銅地の渋い金具で誂えた逸品です。 これぞ正に理想的な同田貫刀、加えて希少な正国銘、悩み無用、これで決まりです。