刀 備前介藤原宗次
(びぜんのすけふじわらのむねつぐ)
慶応元年八月日(一八六五)
Katana:Bizennosuke Fujiwarano Munetsugu
新々刀・武蔵 江戸最末期
拵え付き特別保存刀剣鑑定書付き
探山先生鞘書き有り
刃長:70.9(二尺三寸四分弱) 反り:1.7 元幅:3.25
先幅:2.57 元重ね:0.75 先重ね:0.56 穴1
【コメント】
宗次は、享和三年、奥州白河に生まれ、水心子正秀門であった米澤藩工加藤綱英に鍛刀を学びます。文政十二年まで白河、翌年主家松平家に従って桑名へ移りました。桑名滞在は僅か一年余り、大半は江戸麻布、四谷に住しました。弘化二年に『備前介』受領、没年は不明ですが、作品は文政後半から明治四年頃まで残っています。また大業物作者としても名高く、試し斬りの名人、七代山田浅右衛門吉利らに指導を受け、斬れる刀を探求しており、截断切り付け銘の入った作もまま見受けられます。 作風は、自ら求めて『備前介』を受領していることからも分かるように、一貫して備前伝、良く詰んだ精良な鍛えに、匂い深く明るい互の目交じりの丁子乱れを焼き、その美しさから、世上、『宗次丁子』と呼称されます。
本作は、慶応元年、宗次六十三歳の頃の作、寸法二尺三寸四分弱、切っ先強く張り、元先身幅の差が少なく、重ねもガシッとして、地刃すこぶる健全な優品、とにかく刀が重いです。
やや沈み勝ちに良く詰んだ精良な地鉄は、地景が繁く入り、互の目丁子乱れ主体の刃文は、刃縁匂い勝ちに小沸付いて締まるなど、同工円熟期の典型的な宗次丁子を焼いており、差し込み風の研ぎで、刃形も良く分かります。
探山先生鞘書きにも、『出来宜しく、地刃の肉置きが豊かなる優品也。』とあるように、特に欠点は見当たりません。
昭和二十六年の古い登録証は、長野県登録、銅に金着せ二重ハバキ付きです。
特別保存鑑定がピシッと付いた出来の良い固山宗次をお求めならば、これで決まりです。