刀 備前国住長船新十郎祐定作
(びぜんのくにじゅうおさふねしんじゅうろうすけさださく)
天正二年二月日(一五七四)
Katana:Bizennokuniju Osafune Shinjuro Sukesada
古刀・備前 安土桃山期 業物
特別貴重刀剣認定書付き
寒山及び探山先生鞘書き有り
刃長:67.1(二尺二寸一分強) 反り:2.2 元幅:3.00
先幅:1.95 元重ね:0.73 先重ね:0.49 穴1
【コメント】
本作は、長船新十郎祐定の貴重な俗名入り現存作、同工の一作風を良く示した地刃良く冴えた佳品です。
室町幕府将軍家とその補佐役管領家の後継者争いが、京の都を焼け野原にした『応仁の乱(一四六七~一四七八)』、その戦乱の火種は全国的に広まりました。備前の地では赤松、宇喜多、浦上、松田、三村の諸氏が覇権を争い、刀剣需要は激増、その大量需要に応えたのが長船一派を中心とした備前鍛冶でした。皆大いに繁栄し、今日に於いて『備前刀剣王国』とまで呼ばれる一大生産地となったのです。
戦国時代 数多輩出された末備前鍛冶の中では、祐定を名乗る刀工が特に多く、古刀期だけで八十余名、その中で俗名を冠している者は二十余名を数えます。
その末備前祐定の掉尾を飾る刀工が、本工の新十郎祐定、年紀作に見る活躍期は、永禄(一五五八~七〇)から天正(一五七三~九二)頃まで、作風は、代表的な腰開きの複式互の目乱れを始めとして、同時代の孫右衛門尉清光を思わせる直調で小乱れ交じり、直調で足入り、湾れ調の作もまま見受けられます。
本作は、きめ細かい美しい地鉄に、焼き幅を広く取ってゆったりとした湾れ調の刃を焼いており、刃中細やかな働きが豊富で、一見して鉄質の良さが分かる地刃の出来は、かなりの入念作と鑑せられます。
寒山先生鞘書きには、『同作中の傑作也。』とあり、探山先生鞘書きにも、『先師寒山先生の所見通り、新十郎祐定中最高の水準を示す精華也。』とあります。
現状は、昭和三十七年(一九六二)の古い認定書のみですが、特別保存までは全く問題ありません。
これまでも本誌では、俗名入り祐定を五十余振り掲載しましたが、新十郎祐定は二十年振りくらいかと思います。これは見過ごせません。