脇差し 津田越前守助廣(角津田銘)
(つだえちぜんのかみすけひろ)
Wakizashi:Tsuda Echizennokami Sukehiro
新刀・摂津 江戸前期 最上作 大業物
特別保存刀剣鑑定書付き
刃長:53.1(一尺七寸五分強) 反り:1.0 元幅:3.20
先幅:2.29 元重ね:0.80 先重ね:0.55 穴2
【コメント】
二代助廣は、寛永十四年、摂津国打出村(現在の芦屋市)に生まれ、大坂に出て初代助廣の門人となり、後に養子となって二代助廣を襲名、井上真改と双璧を成す、大坂新刀鍛冶の最高峰で、同工が創始した濤瀾刃は、それ以降の数多の刀匠に多大なる影響を与えており、華やかな乱れ刃の代名詞にもなっています。
作刀期間は、承応二年から天和二年までの三十年余り、銘の変遷としては、最初は基本『越前守助廣』銘ですが、寛文七年二月から延宝二年二月までの七年間は、『津田越前守助廣』銘、いわゆる『角津田』銘となり、以降天和二年正月までの八年間は、表裏草書風の『丸津田』銘となります。同年三月、四十六歳で急逝。
作風は、初期は全て初代風、寛文三年に初代が没してからは、濤瀾風の刃が交じる互の目乱れの作風が主流で、濤瀾刃が完成するのは、角津田銘の終わり頃、寛文末年頃になります。
本作は、『角津田』銘の華やか乱れ刃を焼いた勇壮な一振り、年紀はありませんが、銘振りからして寛文八年前後、同工三十二歳の頃と鑑せられます。
寸法一尺七寸五分強、身幅、重ねガシッとして如何にも肉付きが良く健全、脇差しながら手持ちズシッと重いです。
小板目肌やや沈み勝ち詰んだ精良な地鉄、互の目乱れを主体に濤瀾風乱れ、小互の目、箱掛かった刃を交えた焼き刃は、刃縁美しい沸粒が均等に付き、匂い一際深く明るく冴え、刃中互の目足入り、金筋、砂流し掛かる出来です。
この頃の典型的な作域で、健全さも申し分ありませんので、これで寸法が二尺四寸もあれば、重要刀剣候補筆頭になるでしょう。
冴え渡る地刃の出来を見せる秀逸な一振り、角津田銘越前守助廣の自信作です。